17人の娼婦を殺害!連続殺人鬼ジョエル・リフキン
1993年にアメリカのニューヨークを震撼させた連続バラバラ殺人をご存じだろうか。
犯人の名前は「ジョエル・リフキン」。
17人もの娼婦を殺しバラバラにして死体を捨てた恐ろしい連続殺人鬼だ。
一体どんな事件なのか、詳しく見て行こう。
ジョエル・リフキンが行った殺人事件の概要
1993年6月28日の早朝。パトロールしていたニューヨーク州の警察官がナンバープレートのない車を発見した。
停車するように促すも車はスピードを上げて逃走、赤信号を無視しながら走り続けたのだ。
カーチェイスの末、車は街灯に衝突し停車。
そしてその車の中から出てきたのがジョエル・リフキンだったのだ。
薬物を隠し持っていると疑った警察はすぐに車内を点検。
すると車の後方にあるブルーシートの中から腐敗臭を感じた。
中を確認すると、そこには人間の腐乱死体があったのだ。
警察本部へ連行されたジョエルは、死体は自分が首を絞めて殺した娼婦だと自供した。
しかしあまりに落ち着き払っているジョエルを見て殺人課の刑事はこれが初犯ではないと確信。
さらなる尋問を続けたところ、1989年から93年にかけて17人の娼婦を殺したことを告白した。
※実際に殺された娼婦たち
ジョエルは記憶力がとても良く、殺した17人の娼婦たちのことや殺した方法を詳細に記憶していた。
実際、遺体を捨てたとされる場所からは次々に白骨化した女性の遺体が発見された。
また家からは肉片の突いた冷蔵庫やチェーンソー、血だまりができた工芸用の押し車が押収。
ジョエルの部屋からも被害者の私物が大量に押収され、殺人の動かぬ証拠となった。
ジョエルによると殺人の方法はほとんどが絞殺。
最初の方は遺体を解体して川に捨てていたようだが、末期になると解体もせず遺体をそのまま投棄していたという。
連続殺人鬼 ジョエル・リフキンの過去
ジョエル・リフキンは1959年1月20日にニューヨークで生まれた。
両親はどちらもまだ10代だったためすぐに養子に出され、リフキン夫妻に引き取られた。
IQ128もあるジョエルは父親から期待を寄せられていたが、難読症などの学習障害があり勉強は苦手。
父の期待に応えようと必死で頑張ったものの、どうにもならなかった。
さらに人間関係を築くのも苦手で、学校では格好のいじめのターゲットだった。
家にも学校にも自分の居場所がないと感じ、孤独な思春期を送った。
孤独は大学生になってからも続いた。
同世代の学生たちとうまく溶け込むことができなかったジョエルは、お金で買える娼婦へ依存していった。
そして大学を中退後、1989年に庭師の仕事を始めてからは給料をすべて娼婦に使うようになってしまった。
しかし、根っからのいじめられっ子であるジョセフはとうとう娼婦からもバカにされるようになる。
料金を前払いしてそのままトンズラされたり、ヘロイン中毒の娼婦がセックスの合間にヘロインを打って気絶を繰り返すなど、ジョセフをないがしろにする行動が増えてきたのだ。
ジョエルの怒りは頂点に達した。
「バカにされる前に殺ってやる!」
こうして最悪の連続殺人鬼が誕生したのだ。
裁判の結果は終身刑!しかし…
裁判の結果ジョエル・リフキンは有罪となり、禁固203年に処された。事実上の終身刑だ。
裁判では遺族に対して謝罪の言葉を口にするなど反省を見せているように見えたジョエル。
しかし白人殺しで有名なコリン・ファーガソンが「お前が殺したのは女ばかりだな」とバカにされると、「でも殺した数では勝ってる」と言い返し大喧嘩に。
またあるインタビューでは「またチャンスが巡って来たら殺してしまうかも」とほのめかすなど、反省しているとは思えない言動を繰り返している。